「未来の教室」2

2010/07/19

「未来の教室」の2回目を開いた。
9か月ぶり。この分だと年に1、2回のペースになりそう。
「これをみんなとシェアしたい」と思ったときにやるので
そのくらいのペースになってしまう。
昨日、来ていただいた方は逗子にお住まいの84歳の方。
広島、長崎の原爆の被害者というと、その場に暮らす人たちと思いがちだけれど
自分の住んでいる近くにも被害者の方はいる。
その方は、ご家族を長崎の原爆で亡くされた。
そのとき19歳の学生。長崎から離れた学校にいた。
長崎に原爆が落とされたあと、新聞報道は「大したことがない」というものだった。
けれど、ご家族と連絡がつかないため、長崎にもどった。
そこで、はじめて何があったか知った。
瓦礫のなかを堀り、お母さんの骨を見つけたこと。
お父さんの骨は見つからず
その代わりお父さんの使っていたお茶碗のカケラを手にしたこと。
そんなことから話をはじめてくれた。
テレビや本や記事で知ることとは別の「戦争」がそこにはあった。
当時、そんな形で両親を家族を亡くしたこどもたちがたくさんいた。
「わたしは19歳だったので、まだ、しあわせだと思う。
もっと幼いこどもたちは、大変だったろう」
その言葉が印象的だった。
「わたしたちは復讐するのではなく
No more hiroshima No more nagasaki No more hibakusha だと思っている。
そうしなければ、平和はやってこない」
わたしは、以前、この言葉を聞き、みんなで話をシェアしたいと思った。
大切な家族を亡くして、そう言えるようになるまでどんな思いがあったのか。
わたしには計り知れない。
昨日は20人ほどの人が集まった。
何かが気になって、惹かれて、お話しを聞きに来てくれた人だったので
その場の空気がとてもよかった。
ひとりひとり思いを話をしてもらうので、この人数がめいいっぱい。
このくらいのちいさな会が葉山にはちょうどいい。
鴨川から来てくれた方、8か月の妊婦さんもいた。
暑い中、坂道・・・・と言うか、山道を上ってきてくれてありがとう。
もうひとつ、印象的な言葉。
憲法9条に関して。
「アメリカから押しつけられた憲法だけれど、すばらしい憲法だと思っている」。
原爆・戦争の痛みの代わりに、わたしたちはこの憲法を手に入れたのかもしれない。
重いテーマの会を開くことにときどき迷いが生じる。
たのしいことだけやっていたいと思うこともある。
でも、この前、あるヒーラーの方から「とても大事な役目です」と言われた。
わたしがやりたいのは、重いテーマであっても「これからのひかり」にフォーカスすること。
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