伸ちゃんのことば

2012/03/11

今日は、逗子のビーチマフィンでキャンドルナイトをした。
1年前、地震のときにいた場所で
1年後、キャンドルのあかりのなかライブをした。
途中、北海道に移住した伸ちゃんの言葉を読みあげた。
伸ちゃんは、福島で果樹園を営んでいた。
「失った命をムダにしないよう」。
わたしもおなじ気持ちで、日々、生きていきたい。
・・・・・・・・・・
「あの日から1年」
2011年3月11日14時45分、
自分の生活が一変した日。
あれから一年が経った。
福島が置かれている状況は相変わらずだよ、
もう何が問題か分からない位だ
時間の経過とともに、より複雑になってきているように思う。
でも、人工の放射能はなくならない、確かに今もそこにある。
1年後、そこでの生活が今はもう日常となった。
見えないし匂いもしない味もしないただ怖かった。
1年後の今は、何となくどこにあるか見える。
実際見える訳じゃないけれど、全てじゃないけど分かってきた。
家族、友人、生活がバラバラになった。
たくさんの考え方に触れ、それぞれの存在を認め合った。
状況は変わらないけど、変なそわそわした感じはなくなった。
いま僕たちは、立ち上がろうとしている、左右に大きく揺れながら
せっかちな世の中はすぐに二極化し始める。
お互いの主張はどちらも正しく、対立し合う。
福島は、よくも悪くもはっきりしない。
前は、そんな福島が嫌いな部分だった。
自分もそんな思考の癖があり嫌だった。
でも今は違う。
対立したくない。
そもそも、僕たちがいがみ合う必要なんてないんだと思うの。
時には迷い、不安に。
時には前向きに、力強く。
いろんな考えがあっていいと思う、
ゆらぎながら、少しずつ前に進んでいる。
中心に向かう螺旋のように。
振り子は、揺れる、でも尖った先は一緒だ。
立場や、背景をのぞいた、個人の思いにはそんなに違いが
ないように思う。
でも、正しい情報は必要だと思う。
今回の事で、強く実感した事は、情報は大きく曲げられてるって事、
そしたら、そんな事は昔から在って、身近な歴史も、その時代の都合によって
作られるんだってね。
調べてみると怖くなる事がたくさんある。
でもそれらを背景に自分の考えがあると思うと、少し違っただけで
ずいぶんと見方が変わってくる。
少し自分の話をします。
去年は、めまぐるしく色んな事が在り、
ゆっくり一家で話す事がありませんでした。
僕は、なんとか早く次の生活の糸口を見つけることに必死でした。
心配して下さる方達へ希望を見せる事が、唯一、僕が出来る事だと思っていたからです。
そして兄たちも長野に引越すみたいだと父から聞きました。
今年の正月に、兄家族、両親、安斎家みんなで温泉に泊まりました。
兄家族とは、僕の家内と子供たちは、3月12日から会っていませんでした。
お互い気にしながらも、違う行動をとった事でお互い話ずらくなっていました。
特に話もせず、一緒にお風呂に入り、ご飯を食べて、愚痴をこぼし合ったりして
過ごしました。
短い時間でけっして特別じゃなく、そこにあったのは311以前からある
あんざい家の感じでした。
なぜだかその日以来、何か胸の閊えがとれた気がしました。
それぞれの道を歩く事が腑に落ちたようでした。
たとえ放射能がある世界であろうとも、
僕は食べて、笑うことができるんだなって思えた。
生きてる限り、生を喜び歩もうと思えた。
時間は掛かるけど、たくさんの問題を抱えながら、迷いながら・・・
生きている喜びを中心に、ゆらぎながら歩んでいく。
今僕は、そのスタートに立たせてもらえた。
311は色々な見えなかった問題を見せてくれました。
それらの問題が、自分たちの日常に大きく関わっているのかを実感しました。
日々の当たり前の生活がどんなに幸せかを感じました。
この一年たくさんの方の支えを頂き、
たくさんの新しいご縁もあり本当に感謝しております。
失ったたくさんの命を、無駄にせぬよう。
日々生きてゆきたいです。
一般社団法人 たべるとくらしの研究所    理事長  あんざい しんや

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