セルフケア

2013/06/08

骨折してからお灸をはじめた。

鍼でお灸をしてくれると、めぐりはじめるのだ。おもしろいように。

それで「また、自分でもやってみよう」と思った。

何より、かんたんなところがいい。

 

お灸で思い出したのだけれど

一時的に、鍼から遠ざかっていたときがある。

クラシカルホメオパシーをやりはじめたとき「鍼は止めてください」と言われたのだ。

「そうだった。そう言われていた。でも、いま、レメディ飲んでいるけれど・・・?」

確認したほうがいいと思い、いまのホメオパスの方に聞いてみた。

今回は、クラシカルではなく、プラクティカル。

聞いたところ、プラクティカルは鍼は禁止ではないと言う。

そうか・・・よかった。

プラクティカルのホメオパスの方には「どうしてだめなんでしょうね?」と。

わたしが当時、聞いていたのは、「鍼をするとレメディの効果が減ってしまうから」と

いうようなことだった気がする。

(わたしが今回、プラクティカルにしたのは、そのホメオパスの方が

「ホメオパシーとは何? と聞かれたら、美しいもののひとつ」 と言われたからです)

 

そうそう。お灸。

お灸、いいです。

まず、自分のからだを自分でさわる、というのがいい。

どこが痛いか、どこが気持ちいいか、確認しながらお灸をおくポイントをさがす。

「ここが意外と痛む」というところもあれば

「ここを押すと気持ちいい」ということがわかる。

日ごろ、そんなに自分のからだを細かくさわらないので

自分のからだがどうなっているか、

どこの筋が張っていて、どこの筋がどこにつながっているかがわかる。

痛いところはそこだけに痛みがあるわけではないのを知る。

「効果がある」という箇所は、からだの思ってもみない場所にある。

 

熱めのお灸をすると、一気に流れだすときがある。

おだやかなお灸は、そのままおだやかにじんわりと気持ちいい。

自分のからだを自分で見ている、感じようとしているということそのものが

からだにとっては「いい」気がする。

 

まいにちお灸をしていると、自分に効くポイントがすこしずつ決まってくる。

自分・・・というより、みんなに共通している箇所なのかもしれないな。

わたしがここのところつづけているのは、

合谷、曲池。湧泉。首のつけ根は風池か天柱。

ツボにはちゃんと名前があるんですね。

そのうえで、気になるところにお灸を置く。

 

首や背中は自分でやるにはやりにくいし

火がついているものをひとりで扱うのはすこしあぶない。

そこで登場するのが「火を使わないお灸・太陽」。

いろいろ試した結果、いま、三種類のお灸を使いわけるようになった。

首や腰には、火を使わない太陽。

足の裏や手の甲など比較的、温度が高くてもだいじょうぶな箇所は伊吹。

腕の内側など、温度が低めなほうがいいときはアロマ灸。

最初「アロマ?」と思ったのだけど、温度でえらんでみました。

 

いまは骨折もあるので週に一度、鍼灸に通い、お灸もしてくれている。

しばらくしたら、通う間隔をあけ、そのままセルフケアをつづけよう。

まあ、元気になると、やらなくなってしまうんだけどね・・・。

 

あと、もうひとつ試してみたいことがあるのだけれど

これは、いま、やっていいか確認中。

だめ・・・と言われても、やってみたいなあ。

 

骨折生活とYOGA WOMAN

2013/05/31

骨折生活も2週間がすぎた。

ギブスが取れる予定の半分。

先生からは、来週「レントゲンをとりましょう」と言われている。

 

骨折してからは、まいにち、本を読んだり、DVDを見てすごしている。

「時間があまるのでは?」と思うかもしれないけれど、

睡眠時間がおどろくほど長いので、時間を持てあましている感じはしない。

合計すると一日、12、13時間は寝ている。

昨夜は、9時間ちかく寝たにもかかわらず、日中、4時間も寝た。

 

本は読んでいるけれど、集中しては読めないので

さらさらした水のような文章の本を手にとる。

その点、DVDは流れていくものなので、比較的、何でも観られる。

それで、いままで観過ごしていた映画や

もう一度、観たいと思っていた映画をDVDで借りて観ることにした。

 

いま手元にあるのは『デブラ・ウィンガーを探して』

『画家と庭師とカンパーニュ』

『地球にやさしい生活』(本来のタイトルは、『ノー・インパクト・マン』。

こちらのほうが内容に合っています)

 

『デブラ・ウィンガーを探して』は、数週間前に「また、観たい」と突然、思ったのだけれど

タイトルを思い出せず、何日か「うーんうーん」となっていた。

でも、キーワードをいくつか思い出して、無事、借りられた。

DVDは2004年にでている。

渋谷にある文化村の映画館で観た記憶があるので、10年近く前の作品なんだろう。

いま観ても充分おもしろい。

そして、世界は変わっているようで変わっていないのかも・・・と、思う。

 

骨折する前に『YOGA WOMAN   ヨガ・ウーマン』というDVDを手に入れていた。

こちらは、ネットで買った。

これが、とてもおもしろい。すでに3回、観ている。

いくつか賞もとっていて

「女性インディペンデント映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞」

「オフシュート映画祭・最優秀ドキュメンタリー賞」

「ニューヨーク州国際映画・ビデオ際・最優秀監督賞」などの言葉が

パッケージに書かれている。

まあ、そういう映画です。

 

内容は主にアメリカでのヨガの流れと

ヨガがなにをつたえようとしているのか、というもの。

この映画を観て、ヨガが女性に開かれたものではなかった、という歴史をはじめて知った。

元々、男の人だけのものだったそう。

 

何がおもしろいか・・・というのは、生き方の多様性が見えること。

男性も女性も、こどもから年を重ねた人まで、

その人に合ったヨガがあるということ。

からだとメンタルのこと。老いること。病むこと。食べること。シェアすること。

つまり「生きること」の多くの部分が、84分のなかに収められている。

さらりとした映像なので、表面的かというとそんなことはなく、

源の部分も何気なくきちんとつたえている。

こういうのって、アメリカ人はほんとうにうまいなあ、と思う。

湿度なく、けれど「つたえることはつたえるからね」という感じだ。

 

たとえば、ヨガに対して

「いままでなかったくらいに、自分を受け入れるられるのです」と、応えているヨギー。

死に対して

「つぎの段階へ行くことへの一種のよろこびさえあるかもしれなません」と、話すヨギー。

映像がつぎつぎ流れていくので、

気をつけていないと「さあっ」といってしまうのだけれど

わたしは、思わず巻き戻してその場面を何度か観てしまった。

「ヨガは浄化」という言葉も印象的だった。

 

多様性・・・というのは、今年のわたしの「テーマ」のひとつで(笑)

詳しくいうと311以降のテーマで、

その多様性をヨガを通してつたえてくれている。

からだの奥に眠っている種が芽生えはじめる・・・という感じもする。

多様性・・・もっといい言葉はないかな?

「あなたはあなたでいい。わたしはわたしでいい」という感じかな?

 

二十代の終わりに、はじめてハワイに行ったときに

幅広い体型の人、年齢の人たちが、たのしそうに海で泳いでいるのを目にしたときと

おなじような(ある意味、衝撃だった)感覚になった。

2年前、ハワイ島に行ったとき、ヒロの街で

ヨガマットを抱え、颯爽と歩いている年配の女性(70歳くらいかな)

とすれちがったときもちかい思いを感じた。

なにか大切なものがあるところをノックしてくれる。

 

ソファーに座り、クッションを骨折した足の下にいれ(血流をよくするため)

そんなことを思いながらDVDを観ている。

動けないけれど、ヨガをしているイメージを思いうかべたり、

深い呼吸をしたり・・・も。

思いもよらぬ骨折だけれど、その時間は不思議とたのしい。

 

骨折から一週間

2013/05/24

さて、骨折から今日で1週間。

あっと言う間に1週間、経った。

からだが自由に動かせなくなると、いろいろと考えるわけです。

生活のこと、を。

 

衣食住という言葉があるけれど、

ほんとうに暮らしの基本は「衣食住」だと、あらためて思う。

なかでも「食」はとびきり大事で

「衣」は2、3日着たままでもいいけれど、「食」はそうはいかない。

ほとんど動かなくても、おなかはすくのだ。

 

折れたほうの脚をあまり動かさないようにして、キッチンに立つ。

長い時間立っていると、よくないらしい。血流がわるくなるからかな。

そのことを頭のすみに置きつつ、あるものでその日のごはんをつくる。

できるだけ乾物や海草を使う。発酵食品をつかう。

動かないので、からだに負担のないものにする。

と、思うと、つくるものは「少食」とあまり変わらない。

ごはん、おみそ汁、野菜のおかず、海草。

でも、今日は、ひさしぶりに魚の干物を食べた。

 

話は飛ぶけれど、ここに引っ越して来たとき、冷蔵庫をあたらしくした。

以前、使っていたものは、逗子の友人宅(いっとき住んでいたところ)に置いてきた。

選ぶときにまちがって、冷凍庫たっぷりタイプを買ってしまい

冷凍のものをほとんど買わない(ストックもしない)ので

「野菜室がおおきいほうがよかった」と思っていた。

それがそれが。

今回の骨折で、買い置きがふえ、冷凍庫、大活躍。

納豆、油揚げ、いただいた生ヒジキ、生わかめ、麹、

茹でた野菜、干物。そして脚を冷やすための保冷剤。

いま、冷凍庫は、ちょうどいい。

何がいいか、ほんとうにわからない。

 

話を「衣食住」にもどそう。

 

そう。大事なのだ。「衣食住」は。

 

では「衣」はあとまわしでもいいか・・・というと、やはりそんなことはなく。

こういうときは、なんと言っても脱ぎ着しやすいものが優先になる。

ときどきETVでやっている介護番組を見ている。

からだが動かないときは、動かない方から着衣する・・・というのを

番組を通して知った。

何が役立つかわからない・・・が、ここにも。

そして、着ていてラクなもの、肌ざわりのいいものがいい。

こういうときは、からだがはっきり、YES・NOをだす。

着心地のよくないものは皮膚に違和感をおぼえる。

たとえば、あたたかくなるインナーなど、化学繊維がはいっているものは

着てしばらくすると「うーん」となり、脱いでしまう。

食べ物もそうだけれど、元気なときはなんともないものが

弱っているときは、とても正直に反応する。

これが、自然なんだろう。

この感じ、わすれないようにしよう。

そして、たくさんのものは必要なくなる。

すきな形のもの、すきな色のもの、洗濯できるもの、素材のいいもの。

わたしの場合、さっぱり、すっきりしたものが必要なだけでいい。

 

「住」についても思いをめぐらす。

元々、家に求めるものは、はっきりしていて

それはひとり暮らしをはじめたときからほぽ変わらない。

大事なのは、窓からの風景、陽あたり、風通し。

便利かどうかは、あまり気にせず、いままで家を選んできた。

家を建てたときも、そう。

今回、動きが限られたことで「ああ、こういうことが必要なんだ」と、さらにわかった。

 

葉山の家は、廊下と階段は余裕を持ってつくった。

廊下も、階段も、人がすれ違うことのできる幅にして。

これから年をとっていくのだから、

そういうことは、ますます、必要になってくるのだろう。

からだが動かせないということは、その分、余裕が必要になる。

その余裕が幅だったり、広さだったり。

お風呂やトイレも余裕があるほうがいい。

反対に広くなくてもいい・・・と感じたところがキッチン。

キッチンはコンパクトでもよさそうだ。

広さよりも、動きやすさ。どれだけ動かなくていいか・・・。

車いすだと広いほうがいいのかもしれないけれど、それでも動かずに料理できると助かる。

 

あとは、手のとどく範囲の収納。

椅子にあがって取らなければならないものは、こわい。

今回は、じゅんこちゃんが早々に来てくれて、必要なものを下ろしてくれた。

テッシュなど、天袋にはいっているもの。

手のとどく収納にはいらないものは「必要ない」というわけにはいかないので

結局、物をへらして、必要なものを・・・にしていくしかない。

あとは、平屋かなあ。

 

この前「足りないものを数える時代は終わった」というメールがとどいた。

ほんとうにそうだ。

使いこなせるものは限られている。

暮らし方が生き方のように

「衣食住」は、そのときの自分そのものなのだ。

そうそう。

松葉杖をついていると、両手がつかえるほうがいいので

唯一もっている麻の布バックをつかっている。

たくさんのものをいれると、重くて動きにくい。

「これは、いま、必要?」と自分に問うと、必要ないものがいくつか・・・。

バックから荷物をへらした。

以前、あるADの方が出かけるときは「手ぶら」とテレビで言っていた。

なんだか、いまは、そういうことのような気がしている。

「もっと、身軽に」と思うと、たのしくなってくる。

人生はシンプルなほうが進みやすい。

 

 

 

 

 

 

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