2013/06/19

かよちゃんが梅をとどけてくれた。

これは、やはり、酵素ジュースに。

酵素ジュースをつくりはじめて、梅の季節は四回目。

それぞれ思い出がある。

今年は、山のなかで。

熟した梅は、あまくていいかおり。


月に一度の・・・

2013/06/18

昨日は、東京からあずささんが来て鍼をしてくれた。

月に一度、2時間ちかくあずささんの鍼とお灸をしっかり受けている。

あたたかく、ほぐれていく。

気になったところを告げると、さらに細かくやってくれるので

終わるころは、からだが軽く、気がぐるぐるめぐっている。

 

施術中、基本的にわたしはあまり話さない。でも、昨日は、話した。

いまのからだの状態を聞いたり、「これは、どういうこと?」と思ったことを。

 

たとえば、わたしはいま、めいっぱいお休みしていて

仕事も休み、あそびにも行かないし、無理はしないようにしている。

でも、日々、眠い。

つかれることをして、つかれるのはわかるけれど

つかれることをしていないでつかれるのは、どういうことだろう?  と思っていた。

そもそも「つかれ」は、どこからやってくるんだろう、とも。

 

 

まず。

いまは骨折しているので、からだは、折れた部分のケアに集中している。

からだとしては、いつもとちがうことをしているので

見かけや行動よりずっとエネルギーが必要になる。

意識にあがってくる行動としては、何もしていないように感じたり

つかれることをしていないように思うけれど

実際は、からだは様々なことをしている。

と、だいたいそんなことだった。なるほど。

わたしは、もともとたくさん寝ないとからだが保たないのだけれど

骨折してからは、ほんとうによく眠っている。

「骨の形成は大変なんだろうなあ」と感じていたので、ふむふむと思いながら聞いた。

それはそうだ。骨を一からつくっているのだ。

「骨をつくるにはエネルギーがいるだろうな」と、ある程度は理解していたのだけれど

きっと、自分の理解している以上の力を実際はつかっているんだろうな。

「つかれ」を回復する、または「新たなものをつくる」には、眠るのが一番なんだろう。

 

おもしろかったのが、ゆっくりになると見えてくるものがある・・・という話。

 

いそがしいときは、部屋のすみの汚れは気にならず(そもそも気づかない)

見えるところだけを掃除すればよかったことが

ペースを落としてゆっくりしはじめると

部屋のすみの見えていないところのよごれにも気づき掃除するようになる、という。

からだも同じらしい。

同じ、というとすこし乱暴かもしれないけれど。

 

忙しいとき、勢いにまかせて動いているときは

からだのちいさな不調や変化は、そのときのスピードで乗り切れてしまったり

気になりつつも流してしまうことができるけれど(流さざるを得ないときもある)

スピードが落ちることで、よごれが見えてしまうように

不調や変化に対して気づいてしまうようになる。

それまで気づかなかったつかれや、溜まっていたつかれに気づいたり、あらたな不調に気づいたり。

確かにそういうことってある。

「そんなこと言っても」や「そんなこと言えない」という状況でなくなると

「そういえば、そう感じていた」や「これ気になっていたんだった」と

思い出すようなことが、ときどき。

わたしは、いま、そういう感じがすこしあるらしい。

骨折で安静にしはじめたことで「そういえばさあ」と、からだが言いだしている。

でも、それはぜんぜんわるいことではなく、

そこで休めれば、その後の大病や大ケガを防げたりすることにもなる。

できるのは、気持ちをおおきく持って「休んじゃおう」と思うことかな。

 

そして、実は実は、家にずっといるので、また、物の整理をしているのだ。

できる範囲で。

 

 

そんなことを話していたら、急に「そもそも生命力とは何?  」と思った。

どうしてこんなに個体差があるんだろう。

 

「東洋医学の世界では・・・」と前置きがあり、

生命力とは、両親から受けついだもので「先天の気」と言うらしい。

生命力=先天の気。

わたしたちは、その「先天の気」をすこしずつ使いながら生きている、と

東洋医学では考えられている。

生命力は、もともと受けついだものでだいたい決まるんですね。そうか。

そして、その「先天の気」をどう使うかはその人による。

その「どう使うか」で大事な要素は「食べ物と水と空気」。

「食べ物と水と空気」は、生命力を補ったり、

いのちを長らえるものとして位置づけられているそう。

だから、ちゃんとしたものを食べ、きれいな水を飲み、

きれいな空気のなかで呼吸するのはとても大事、ということだった。

 

受けついだいのちを左右するものが「食べ物と水と空気」としたら

できるだけ、ちゃんとしたものを選ぶのが、応えることなのかもしれない。

丈夫な人は丈夫さゆえに、その部分を見過ごしてしまうこともあるそう。

 

受けついだいのちを大切にするのが「食べ物と空気と水」ならば

わたしたちがつぎに残していくものは「食べ物と水と空気」でもあるのだなあ。

いままでより、すこし高い位置からいのちをながめたような気がした。

 

あずささんは「ノマド」という形で施術をしている。家に来てくれるのがいい。

昨日は、経絡の話も聞いたし

(経絡が体の外にある人もいるそう。言われると「そうだな」と納得)

まぶたへのお灸の方法も教えてもらった。ほかのことも、いろいろ。

ふむふむ、わくわくの時間。

いまは縁があり、この場所まで来てくれているけれど、

今度、東京にもどったときに鍼を受けてみたい。

ここで受けるのとは、ちがうかもしれない。

なんと言っても「東京」は、様々な意味で特別だから。

 

昨夜は、施術が終わったあと、ちほさんから夜ごはんの差し入れがあった。

ここは、まるで、山のリトリートだ。

 

 


今日のハワイ

2013/06/17

月曜日は、徳島のとなり町のスーパーマーケットが「お魚デー」なので

あめのごはんを買いに行く。

徳島への道は、ずっと緑のなかを走る。

ちいさな田んぼが川沿いにいくつもある。

遠くには連なる山々。

途中から川幅が広くなり、視界がひらける。

 

 

そこのスーパーマーケットは、店造りのコンセプトとして

ヤシの木(に、似たようなものなのかな?)を

駐車場前に植えるようにしているらしく

何店舗か、南国風にしている。

今日、行ったお店は、その並んだ木のむこうにほどよい高さの山が見え、

それが「ハワイみたい」なのだ。

毎回、そう思い、目にするたびに笑ってしまう。

そして、笑ったあと、うれしくなる。

 

広いお店なので、松葉杖で歩くのはちょっと大変だったけれど

帰ってきて、あめにごはんをあげたら

「ウニャウニヤ」と、言いながら食べていたのでおいしかったんだろう。

 

今日の「ちいさなしあわせ」は、ハワイの風景。

(写真は、ほんとうのハワイの風景)


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