ロルフィング・メモ2

2014/05/05

2014.4.30

 

前回の施術から3週間以上あいて2回目のロルフィング。

雨のなか北鎌倉へ。

 

まずは、立った状態を見てもらったあと施術へ。

「今日は脚、膝下横の部分です」。

 

仰向けになり、まずは背骨を。

この前より背骨がのびているそう。

よしよし。

つづいて左脚、膝下から。

 

1回目の施術がまったく痛くなかったので

確認のためロルフィングは痛いのかどうかを聞いてみた。

すると・・・。

「ふつうはこういう感じでやる人が多いんですけど

ぼくはちがうんです」と。

ふつうはこういう感じ・・・を実際にやってみてくれる。

指圧のすこし強いような感じ。

 

前回は「触れる」感じだった。

これでずっとやってもらえるんだ。

緊張しなくていい。

痛いと—–多少、痛くてもいいのだけれど—–

からだは緊張するので

痛くないほうが多分・・・いい。

 

今回も左から右へ、という流れ。

 

ときどき「どうですか?」と聞かれる。

はじまったときは

すこし呼吸が浅くなっていたけれど

時間の経過とともに呼吸が深くなるのがわかる。

けれど、今回はやっている間は、

おおきな変化はあまり感じなかった。

何度か「よく、わかりません」と告げる。

 

脚が終わり、つづいて肩に。

こちらも、変わったかどうかはわからなかった。

 

変化に気づいたのは、上体を起こしてから。

肩、というか腕が、からだと「つながっている」ことを

強く感じる。

「腕がある、という感じではなく

心臓とつながっていると意識してみてください」と

言われる。

意識してみると、腕がすっと軽くなる。

「はい。いいですね。そういう感じです」。

 

心臓?   と思ったので質問してみる。

「腕と心臓はつながっているんですか?」

 

「胎児のとき、最初に内臓ができて

そのあと腕ができるんですが

骨からできるのではなく

腕ができ、そのなかに骨の芽があり

その芽から骨が形成されていくんです。

だから、心臓から腕ができるという感じなんです」

(言い回しはすこしちがうのですが、こんな内容です)

 

なるほど。

「ボニョに手足がでるときの感じですね」。

「ああ、そうですね」。

 

施術はここで終了。

ベッドから下り、歩いてみる。

 

施術のときは変化がわからなかったけれど

歩いてみると変わっているのがわかる。

足が大地にぴたりとついている。

重力にひっぱられるような感覚だけれど

重いというわけではない。

重心がより下になった?   感じなのかな。

 

日々の散歩をつづけるように言われる。

次回は2週間後。

 

1回目は、終わったあと、ぐったりしたけれど、

2回目は、からだが軽くなった。

ロルフィングを受ける前までは

月に一度、鍼灸を受けていたけれど

4月は受けていないことに気づく。

 

そうだ。

最初に「胃がつかれている」と言われた。

ここのところ食べすぎている。

食べすぎないようにしよう。

 

 

 

 

ロルフィング・メモ 1

2014/04/08

ロルフィングを受けはじめました。

最初は「レポートを」と思っていましたが

とりあえず「メモ」という感じで。

ロルフィングは、1クール10回。

いまは10回やる予定でいます。

どんなふうに変化していくのか、変化しないのか

たのしみです。

 

 

 

2014.4.5 1

 

北鎌倉へ。

いつもはひっそりしている北鎌倉の駅も

さくらの季節で観光の人たちで混んでいた。

 

はじめに簡単な問診表。

年齢や病歴、服用薬、調子のわるいところ

ロルフィングで得たいもの・・・などを書く。

気になっているのは、左脚の骨折した部分と

左肩の動きがせまいこと(つっぱった感じ)、肩こり、目のつかれ

ときどき右腰が痛くなることなど。

ねこがいて睡眠が浅くなっていることも告げる。

 

最初にイスに座る。

「胃腸がよわいですか?」と。

「はい」と答える。

噛み合わせのことも聞かれたので

数年前にインプラントをいれたことを告げる。

 

そのあとは、施術台にあおむけに。

 

 

シーツ越しに仙骨のあたりをかるくふれられる。

ふつうは反っている骨(仙骨の上の辺り)のひとつが反っていないそう。

横隔膜が緊張しているとでそうなるらしい。

 

それからは、腕を持つ、足首に手をそえるなどのことがつづく。

どれも手をそえる、ぐらいのもの。

でも、ゆるむのか、うとうとしてくる。

 

区切りがあるようで、ひとつの流れが終わると

「どうですか?」と声をかけられる。

うとうとしているとわからないので

次第に意識がからだほうへ向きはじめる。

最初はよくわからなかった感覚が

すこしずつはっきりしだす。

 

経過とともに呼吸がしやすくなる。

一度にそうなったわけではなく、順を追ってそうなっていく。

 

施術する。

肺がおおきく動く。

肺に酸素がはいってくる。

施術する。

今度はおなかまで酸素がとどく。

施術する。

最後に酸素が足先までめぐったのがわかる。

と、言った順番。

もちろん、からだはそれにともないラクになる。

ため息のような呼吸がでたり

急におおきくお腹がふくらんだりする。

一連のことで、呼吸が浅かったのに気づく。

日ごろ、呼吸には気を配っているのに

自分が思っていたより呼吸が浅かったもよう。

 

呼吸がラクになると

からだが自然に動きはじめる。

 

腕や肩に手を置かれているだけなのに

首や頭が動く。

この感じは、以前、気功の施術を受けたときと似ている。

からだにふれられていないのに、からだが勝手に動く。

今日も同じことが起きた。

 

自然にしていると動かしたくなるというか

気持ちのいいほうへ動いていくというか。

「力をぬいて、それで動いてしまうならそのままで」とのこと。

 

施術後半では、

頭が右側にひっぱられる感じがしたり

頭蓋骨の右側が締まったりゆるんだりする感覚があった。

頭蓋骨は、常に膨らんだり縮んだりしているのだけれど、

それがわかるくらい動いた。

主に右側が動いたのだけれど

そのせいか、呼吸は右側(右の鼻)が通った感じになった。

 

整体や鍼灸は、一通りの流れがあるけれど

ロルフィングはそれがないのか

はじめてだからわからないのか、

「あっ、これで終わりなんですね」という感じで終わる。

どこをどんなふうにふれられたのかも

あまり覚えていない。

左側から足先、右側へ・・・だったかもしれない。

 

「ゆっくり起きてください」という言葉通りに起きる。

立ってみると、からだがゆれている。

脚の感覚や視覚が変化している。

あたらしいからだになったような、はじめてのバランス。

視覚が広くなった気がする。

ある意味、軽く、ラク。

「この感じに慣れていってください」。

部屋のなかで歩く練習をする。

うまく歩けずおどろく。

歩きつづけるうちに慣れて行く。

 

歩くポイントは、ひろい場所にいるような感覚で歩くこと。

呼吸は、ひと回りおおきな自分が

呼吸しているイメージで、と。

たしかにそういうイメージだと、からだがさらに軽くなる。

 

いつもは筋肉で鎧を着ているけれど

それを脱いだところなので

それに慣れるのに時間が必要と言われる。

 

また、よくなるときは、一度上がって、下がるという波があるので

そういうものだと思って気にしないように、とも。

 

つぎの施術は、タイミングが合わず

すこしあいて月末に。

本来なら1週間か2週間に1度がいいそう。

 

 

「施術後に言われたこと」

 

5、6年前にいれたインプラントについて。

そのときの衝撃がなかにこもっているということ。

通っている歯医者さんにも同じことを言われている。

(インプラントをいれたのはいまの歯科医院とは別のところ)

インプラントをいれたとき

「こんなことはもうしたくない」と思うほど

頭蓋骨に衝撃を受けた。

今回の施術でゆるんでくるとのこと。

 

あたらしいからだに慣れるまで時間がかかるので

毎日、10分から20分ぐらいの散歩をすすめられる。

 

あたらしい感覚に脳がついていくため

ふだんより情報処理が増えるのでつかれるかもしれない。

つかれたら休むように。

 

 

「質問したこと」

 

横隔膜は自分で動かせないけれど

ゆるます方法はあるのか?

 

「呼吸を深くすると横隔膜はゆるんでくるので

日ごろから深い呼吸をこころがける。

仕事のとき1時間経ったら深呼吸を最低10回するように。

横隔膜の緊張と呼吸、メンタルのダメージはつながっている」。

 

フラッシュバックのようなことが起きた

 

「からだに受けた衝撃は

時間が経ち、わすれていてもでてくることがある。

精神的なこともからだが記憶しているのででてくる」。

 

 

 

 

北鎌倉駅までの道のりは

歩く感覚がいつもとちがう。

脚が動いているというより、

骨盤とつながっている脚の骨が動いているという感じ。

 

鎌倉につくととても疲れていることに気づき

江の電に乗って帰る。

おなかもとてもすいていて、帰宅して食事。

あまいものもほしくなり食べる。

そのあと急激に眠くなったので2時間ほど眠る。

 

 

・・・・・・・・

 

その後

 

翌日もつかれがでて、半日、ゆっくりすごす。

2日後から、からだが軽くなる。

あたらしい感覚としては、腕がからだの横についていることを意識した。

肩が前に入り気味なのが、本来の位置にひろがったのかもしれない。

 

歩くときの違和感はそのまま。

脚を投げ出すように歩いている感じがする。

呼吸が深くなり、無意識にときどき胸がおおきく動いている。

 

 

 

 

よく遊び よく遊べ

2013/09/02

IMG_0076この夏は、よく遊んだ。

正確には、今年の夏「も」かもしれないけれど。

 

脚がある程度よくなり、ギプスがとれ

まあまあ歩けるようになったのが夏になる前のこと。

いまとなっては、ギプスから解放されたのがいつのことだったか

わすれてしまうくらい「昔」のことのように感じる。

 

夏がはじまってすこししたとき

「この夏は遊ぼう」と、何やら、決心めいた思いを抱いた。

ずっと遊んでいるように見えても、

実のところ「いいのかな?」と思ったり

仕事のことが気にかかったりしていた。

もう、ずいぶん、長いあいだそうだった。

もしかしたら、大人は、みんな、そうなのかもしれない。

つぎのことが頭をよぎってしまう・・・。

けれど、脚をケガして、病院の先生から「骨がつくまで3か月」と言われたこともあり、

その間は「休もう」と思っていた。

ギプス期間は、約2か月。

残りの1か月は、堂々と「休める」。

休みが、遊びに変わっても構わない。

そもそも、あれこれ言う人もいないのだ。

 

と、言うことで「この夏は遊ぼう」と思った。

すると、不思議なことに、遊びのさそいがつづいた。

そんなものなのかもしれない。

決めてしまうと動きだす・・・ということ。

 

わたしのなかの「遊び」というのは、主に、海、川、山。

 

何をするというわけではないのだけれど、

そういった場所に行き、その場の空気のなかに身を置くというのが

からだとこころのなかにある何かを再生してくれる気がする。

その感覚は、若いときにはあまり感じなかった。

若いころは「再生」されなくても、だいじょうぶだからかもしれない。

もしかしたら、からだやこころと向き合う時間を経て

そういった感覚に気づくようになったのかもしれない。

例外がひとつだけある。

はじめてハワイに行った二十代の終わりのとき「再生」を感じたことがある。

ハワイがわたしにとって、特別な場所になったのは、その感覚があったからだ。

 

この夏は、徳島の海と川、香川の海に行った。

 

香川の海は、湖のようにしずかだ。瀬戸内は、葉山の海以上に波がない。

黄色い砂にやさしい色の海。遠くに通りすきでいく船。

大型のタンカーを目にすることもある。

 

徳島の海は、太平洋らしい海。

海らしい海の風景が、目の前に広がる。

高知側に行くにつれ、おどろくほど水が澄んでくる。

海に注ぎこむ川の水もきれいで、その色におどろく。

川の透明度で言えば、徳島の川はいままで行ったなかでも一番かもしれない。

この夏、ともだちがつれて行ってくれたところは

泳いでいると「飛んでいる」ような気持ちになるほどだった。

空気のように澄んでいる。

からだに触れる水もそれほど冷たくなく、幾度となく流れにからだを乗せた。

見上げると、青い空と樹々のみど、降り注ぐセミの声、笑うこどもたち。

ずっと昔、こうやって心地よく遊んでいたときのことを思う。

思うたび、自分のなかにある「源」のようなものが

コツンとちいさな音を立てる。

 

わたしたちは、大人になるに連れ、ずいぶんといろいろなものを身につけてしまう。

いい場合もあるけれど、そうでないときもあるだろう。

大人としている自分と、本来の自分の間できる、ほんのすこしの隔たり。すきま。

澄んだ水に浸かると、その、すきまが充たされていくように感じる。

その感じは、外にだしてしまうとわたしの場合

「たのしい」という言葉になるのだけれど、

夜、家に帰り着き、眠りにつくほんの短い間に「降りていった」と感じることもある。

時間がさかのぼっていく。こども時代を通りこして・・・。

「降りていく」感じは「もどっていく」でもあり、

「思い出す」と、感じるときもある。

「再生」。

どちらにしても、見失ったパズルがひょんなところから出てきて、うわっとなり、

あるべき場所にはめこみ、安心してゆっくり眠りに落ちていく、のだ。

でも、大抵の場合、遊びつかれ、深く思いをめぐらす前に

「まあ、いいか。たのしかったから」ということになるのだけれど。

 

ときどき、葉山を思い出す。

夏の一色海岸の夕空やそこに集う人たちの持つ空気感を思い出すと泣きたくなる。

あんな場所は、そう、ないのだ。

たのしいことを知っている人たちが、たくさんいるところ。

けれど、四国の海や川や山は、その思いを超えるほどゆたかなことも知った。

すきな場所がふえていくのは、うれしい。

すきな人がひろがっていくのも、うれしい。

 

たくさん遊んだ夏が終わった。

そして、秋は、ある朝、突然、おとずれる。

わたしの遊びは、そのまま、つづく。

もともと、時間には境界線がないのだから・・・。

 

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