代官山蔦屋書店イベント・メモ

2013/02/04

松浦裕さんがフェイスブックにトークイベントのメモをあげてくれました。

日記にそのまま掲載させていただきます。

松浦さん、ありがとう。

・・・・・・・
普段アフタヌーンティーのHPのお仕事でお世話になっている廣瀬裕子さん。

かれこれ10年以上も編集を担当させていただいたおります。

その廣瀬さんと、葉山にある茅山荘で座禅会を主宰されている藤田一照さんによる

対話をまとめた新刊「あたらしいわたし 禅100のメッセージ」の発売を記念した

トークショーに行ってきました。@蔦屋書店

お二人のお話の中にはいろいろな気づきがあったので、

気になったことを長々〜とメモ。

まあ、でもあくまで浅はかな自分が聞きかじった範囲なので、そのへんはご了承を。

おもしろかったのは「なりたい自分を手放す」というエピソード。

本の中でも触れられているけど、

廣瀬さん自身も一照さんのお話に耳を傾ける中で、一番衝撃だったことだそう。

目標を決めて達成する→さらに目標を定めて達成する。

ついつい自分たちはそういったルーティンの中に生きているのだけど、

そうじゃないんだと。

目標を達成する、ついに完成だ!

そんな瞬間があったとしても、それはあくまで思い込みで、

本来は完成という状態はない。世の中というのは常に移ろうもの。

すべて動いていって、更新していくものだから、

完成と思った瞬間に停滞がやってくる。

だから座禅というものも終わりがないし、一生続いていくもの。

一照さんは「アテ(当て)」と「願い」の違いというエピソードで説明してくれた。

欲望がアテを描いて、アテに引きずられてアテを頼りにがんばる。

これがよくある僕らの生き方。もう反対にあるのは願いをもって生きること。

この2つは似ているようで違う。

アテには失敗と成功がある。つまりアテが外れれば、それは失敗となる。
でも願いというのは大きな方向性。

だからうまく行かなかったらそれは何らかの糧になるし、

また別の工夫をして願いに向かっていく。そういう意味での失敗はない。
これにはゴールがないしプロセスが問題(つまり大事)となる。

テの方は早くゴールに到達するのが目標でやっているから結果を心配する。

つまり未来に対して不安をもって生きることになる。

願いは未来を信じているから、安心して今に取り組める。

それから仏教における「悟り」という概念について、

廣瀬さんと一照さんとのやりとりもありました。
「悟り」というと、心がある段階から別次元に移行するとか、

特別な人間になれるみたいなイメージで捉えられるけど、

道元さんの思想では、

修行すること自体の中に悟りがあるという捉え方なんだそう。

つまりプロセスの中にこそ悟りがあるから、

いつまでも悟りが開けないことに対しての焦りなどはないし、

安心して修行に励めるということになる。

地に足をつけてありのまま、あたりまえを深めていく。

だから仏教は難しすぎてわからないのではなく、やさしすぎてわからない。

たりまえのことすぎてわからないものだと。

よく宗教って、しがみついている常識のようなものをはがすようなイメージで

漠然と捉えられるけど、仏教はそうではなく教えによって照らすことで学んでいく。

あと話を聞きながら感じたのは、世界はひとつ、未来は今ってことなんだ。
一照さんの説明がまたしてもわかりやすい。

「仏教は汚れた世界から悟りを開いて、永遠なるピュアな世界に行く、ってな

2つの世界を想定したストーリーを描くのではない。

ここしかない、世界はひとつなんだ」と説く。
だからフォーカスをかえればこの世界はまんざらじゃないし、

踊り方を学べば、楽しく踊れる。

そういう意味で仏教はとてもモダンな宗教なんだよと。

ふむふむ、モダン、それはリアリティがあるってこと?!なるほどなるほど。

「踊り方を学ぶ」っていう部分が、広い意味での「禅」っていうことなのかな。

そしてそういった世界を「あたりまえに見る」ための訓練が

「座禅」なのかもしれない。
だから「修行」と「日常生活」といったふうに、

何か特別な行為と日常がわかれているわけでもなく、

禅というものは生活全般の中にあるし、座禅している時だけが

修行というわけではない。
例えば皿洗いを日常の雑事としてこなしてしまえば、それまでのことだし、

逆に意識を集中してやれば、その瞬間も気持ちよいしきっと達成感も違う。

ニュアンスとしてはよくわかるけど、

自分の実生活に落とし込むと難しい領域でもあるが…(笑)
とにかく未来を信じて今ここでやる。

そのことが未来のタネになっていく、というワケだ。

そのへんを集約させていくと、何らかの世の中的な価値を気にしたりするんではなく

「ありのままの自分でいい」っていうことになる。

この文章を、相撲中継をつけながらまとめていたからというのもあるけど、

この「禅」の生き方のような部分と、

白鵬の歩んでいる相撲道と重なっている部分があるね。

白鵬は、土俵上だけでなく、生活とか生き方ずべて相撲道を極めようとしているし、

どんな瞬間であっても「横綱」であろうとしている。

そのことがひしひしと伝わってくる力士だ…‘

話は脱線してしまった…「ありのままの自分」に話を戻そう。
「ありのままの自分」「そのままの自分」っていうのがまた厄介。

上っ面で言葉を捉えると、「今の自分を愛しましょう」みたいな

純な現状の肯定になってしまいがちだけど、

そうではないんだって一照さんはおっしゃるわけです。むむむ
じゃあ本当の自分ってなんなの? 

自分ってそんな小さいものじゃないんだよ、

それを突き詰めていく、深めていくのが仏教なんだ。
こういった論理の構成のされかたは、とても興味深いし、

すごく身近に感じてしまうのは、やっぱり自分が日本人だからかな?

廣瀬さんの感じたところでは「仏教とはつまり暮らし方」なんだと。

こういった感覚で仏教をとらえるのはおもしろいし、

今とても求められていることだとも思う。

 

廣瀬さんが書かれているテーマは、いろいろ変遷しつつ

「禅」というところに辿り着いたけど、

気持ちよく暮らすことをテーマにしている、という意味ではブレがないし、

深まっているんだな、なんてことを感じた次第。

座禅のプチ体験もあってそれもまた楽しかった。

体幹、つまり身体の中心がごく自然に、

気持ちよくまっすぐに座れる場所を探していったり、よく見る、よく聴く、

よく香る、つまり感じることにより能動的になることだったり、

そんなことを意識しながら座っていたひととき。

週末の代官山にいるのに、まわりの空気が変わっていくのがわかって、

その場に身をおけたことはわずかな時間だったけど

とってもおもしろい体験でありました。

page top
© hirose yuko All rights reserved.